2006年3月、私(大槻一博)はタイマッサージの生徒さんを連れてロイヤルマッサージ研修のためチェンマイを訪れた。指導してくれたのは、ソンポン・プラファラットという先生で、タイマッサージとタイ伝統医学に精通され、トークセン(タイ北部のみに伝わる木槌と杭を用いて全身を叩いてほぐす療法)の施術も行う先生である。その先生から友人の小笠原瞳さんを通してあるVCDをいただいた。そのVCDには、ソンポン先生が湖畔で気功のような太極拳のような、しかし見たこともない柔らかい動きの健康体操16種類が写っていた。その健康体操に興味を持った私は、早速スクールの生徒さんを連れて、チェンマイに向う予定を立てた。そして、そのVCDのタイトルを古くからの友人ソンバット・タパンヤ先生に訳してもらうと、それはフォンジューンという体操法らしいことがわかった。そこでその体操を習おうと思い、ソンポン先生に連絡を取り、教えられる日程を日本で前もって決めていざチェンマイに向かった。チェンマイに着くと、20年来の友人ビシャンが迎えに来てくれていた。今回は総勢8名の研修ツアーである。
初日は全員でタイ料理を習い、楽しい時間を過ごした。そして、次の日にソンポン先生からランナー体操を習う予定だった。ホテルに帰ると、通訳のあゆみさんからメッセージが残されていて、至急連絡をもらいたいとの内容だった。さっそくあゆみさんに電話をすると、明日予定していたソンポン先生は、今ランプーンで別のセミナーを担当していて、明日はチェンマイに来られないという。2ヶ月以上前から頼んでおいた日程なのに、先生の予定がつかなくなり、急遽先生の手配をどのようにしたらよいかの打ち合わせをするしかなかった。
次の日、あゆみさんが色々と手を尽くし、ソンバット先生の知り合いやチェンマイ大学の卒業生に頼み、誰か他にその体操法を教えてくれる先生はいないか探してくれた。そして、一人の先生に行き当たった。その人とあゆみさんのお店「ディンディー」で待ち合わせ会って驚いた。その先生は、私が以前にロイヤルマッサージを受けたことのあるマッサージ師であった。彼とはマッサージの後、武術の話で盛り上がったことを思い出した。しかし、残念ながら、明日は本業の仕事が忙しく、仕事を休めないので教えられないとのことだった。しかたなく、また別の先生を捜すことになった。
明後日に予定していたトレッキングツアーを急遽明日行うことにした。トレッキングの後、「ディンディー」で「たっぷりチェンマイ」の本を書いた古川節子さんを紹介された。そして、お茶を飲んでいると、あゆみさんがまた色々と探してくれて、フォンジューンを友人のゴップに教えたチェンマイ大学講師のサラン先生から辿り、ついに専属では教えてくれないが、チェンマイ大学の近くでランナー文化の紹介講座があり、そこで朝から3時までその武術を紹介している先生にたどり着いた。その先生はセーブ先生という名前だった。
翌朝9時にあゆみさんと一緒にそこに行くと、セーブ先生がやって来た。そして、フォンジューンの歴史から解説をしてくれた。その後に基本の動きを見せてくれた。その動きを見て驚いた。中国拳法の八卦掌と非常に似ているのだ。以前に八卦掌を学び、その動きから多くのものを学んだ経験をしたせいか、一瞬でその武術にほれこんでしまった。その美しさ、優雅さ、舞踏にもなり、ダンスにもなり、体操にもなり、まつりごとでも踊るそうだ。そして、以前は成人になるための必要な武術だったらしい。真剣に行うと武術になり、音楽に合わせて行うとダンスになる変幻自在の武術である。今までの常識を打ち破った経験だったし、見るのもはじめての体験でとても感動した。 後で振り返って考えると、この先生に出会ったお陰でフォンジューンの素晴らしさを直に体験できたのだ。ソンポン先生が予定を変更してくれたことでセーブ先生にお会いできたのだし、全ては導かれるように事は進んでいたのだった。
平成21年3月30日、サーンカム先生に弟子になる儀式をしていただいた。そして、4月1日はニック先生とセーブ先生にも弟子になる儀式をしていただいた。セーブ先生は、はじめて私にフォンジューンと言うものを教えてくれた先生で、セーブ先生はまた、ニック先生の兄弟子でもある先生である。同じ系統のラー先生とブワン先生からお二人とも習われたのだ。
ニック先生からは、今年の1月に集中的にフォンジューンとフォンダーブを習うことができた。しかし内容が濃すぎて、とても一度では理解できないことを身にしみた。今回はいつもの私のペースではなく少しのんびり習うことにした。そしてそう決めたら少し気が楽になった。例え今まで様々な武術や武道を体験してきたとは言え、やはり一つのしかもしっかりとした系統立ったものをマスターするのにはそれなりの時間がかかるし、下手したら一生かかってもマスターできないかも知れない。わたしももう57歳なのだ。体力も他の人よりかは自信があるが、疲れが取れるのに時間がかかることは自覚がある。
今回は、しっかりと学びたいと思い正式に弟子になる儀式を行ってもらったのだ。しかしセーブ先生の「簡単に儀式を行えば良いのでは。」、と言う意見に対し、ニック先生の「ちゃんと伝統に基づいて行いましょう。」との提案によって今回の儀式は行われた。 まず前日儀式に必要なものをニック先生と通訳の大熊あゆみさんとでワローロット市場でそろえた。儀式に必要なものは、縁起物として米の花、バナナの樹、バナナの房、ココナッツ、もみつきのお米、白米、マーク(ビンロウジュ)、酒(米酒)一本、ロウソク、線香、白い小さな旗、武器の複製品(棍棒、槍、刀)、赤い布、白い布、それらを入れる容器(この容器自体が教えを授けてくれる先生と見なされる)、鶏肉、卵、甘いお菓子類、ミカン、スイカ、マンゴ、白い菊などである。それらを買いそろえるのに2時間以上もかかった。そして手に入らないものはニック先生が別の場所で手に入れてくださるとのことだった。 私の準備はそこまでだったが、その後から先生方は、とても忙しい作業が待っていた様だ。夜遅く午前2時頃まで儀式の用意に準備をしてくれた様だ。また儀式のあとに食べる食事をおじさんが朝4時から作ってくれていた様だ。とにかく私の弟子になる儀式のために家族総出で準備を行ってくれたのである。とてもありがたいことだし、感激した。
当日先生のお宅に伺うとすでに庭でセーブ先生が待ってらっしゃった。1年ぶりにお会いしたのでお元気ですかと聞いて、とても元気そうで安心をした。セーブ先生はお寺の彫刻のお仕事をしていて、最近ではインドのブッダガヤ(お釈迦様の悟りの地)にあるタイ寺の修復で時々インドに一ヶ月間上も行かれている先生である。
セーブ先生はまず、お釈迦様が祀ってある祭壇のロウソクに火を灯し、その祭壇に向かって3回おじぎをした。そして呪文を唱えた。その後、小さなお供え物とお礼が置かれたものをセーブ先生にお渡しした。そして、セーブ先生は、お供え物の一つ一つの意味を説明してくれた。バナナの葉で巻いたビンロウジュ、白米は完成を意味し、もみの着いたお米はどこに蒔いても芽を出すと言う意味である。赤い布はズボンに使い、白い布は、服に使う。32バーツは体の一つ一つの部分を表している。ラーンナーの人たちは守護霊や精霊を信じていて、1年に一回自分の子孫たちを見に来るので、その時に合わせてお供え物を取り替えるとのことだった。
一通りの説明が終わると、セーブ先生はロウソクと線香に火をつけた。カンタンを私からセーブ先生にお渡しして、セーブ先生はそのカンタンを祭壇に向かって額の高さに上げて、呪文を唱え始めた。その呪文の中には私の名前が入っていた。その後ソンポーイの水をカンタンに振り掛け、線香を参加者全員に配り、その後その線香を各お供え物に一本ずつ刺して、準備が終わった。
その後セーブ先生は短刀で呪文を唱えながら灰を溶いた水をかき混ぜ、その刀の柄の部分で私の手に呪文を書きそれを額に付けて儀式は終了した。この儀式を行うことで、フォンジューンの教祖様が安全に私を守ってくださることになるとのことだった。その後は、儀式に参加した全員がセーブ先生から同じ作法を受け、全員で3回お辞儀をして全ての儀式が終わった。
私が正式に弟子になるに当たって、フォンジューンの先生方は、皆さんで集まって話し合いの場を設けたらしい。つまり、私を正式に弟子にしても良いかどうかを話し合ったのだ。その結果、伝統を守ってきた先生方の知識が流出するため、私の弟子入りに反対する先生方もいたようだが、ニック先生とセーブ先生が私の事をよく知っていてくれたので、皆さんを説得する形で弟子入りが認められたということを後でニック先生から聞いた。
フォンジューンという武術は、今まで見たこともない芸術的な美しさと理論的な攻防性(攻撃と防御の技術)を兼ね備えていた。始めてその武術を見た時は、その動きのあまりの美しさに感動してしまった。全ての動きが連綿と続いて途切れる所がなく、しなやかさと強さの両面を兼ねそろえていて、私が学んだ中国武術の八卦掌にも似ていた。しかし、中国武術や空手の様に、演武用の決まった型はなく、自分の感じた通りにいかようにも変化できる自由度の高い武術であった。一瞬でその武術に惚れこんだ私は、これからその武術を学んでいこうとその場で決心をした。
フォンジューンは、ゆっくりと気持ちを静めて行えば瞑想にもなり、気を感じながら行えば気功にもなり、音楽に合わせてリズムを取りながら動けばダンスにもなり、力強く動けば武術にもなる変幻自在の動作で構成されていた。そして、剣を使って舞えばフォンダープといい、棒を使う武術はフォンマイコーンといい、絹織物を紡ぐ動作を取り入れた型はフォンサオマイという。 つまりフォンジューンは、単なる武術ではなく、ダンスであり芸術(アート)であり、そしてその動作をうまく使えば素晴らしい健康法になり、一般の人が簡単にできる体操法にもなるのだ。
フォンジューンの動きを分析すると理論的に完成されているのがよくわかる。基本動作は、胡坐(あぐら)をかいて膝の上に両手をのせ、片方の手のひらを上向きに、もう片方は下向きに置き、そこから左右の手を交互に上向きから下向きに、下向きから上向きにと手のひらを反転させる練習からはじまる。そして音楽に合わせながら徐々に両手を前に突き出し、今度は手首を返しながら、左右の指先で8の字を描くように手全体をしなやかに動かすのである。
その動きは、攻撃に対する受けや手をつかまれた時の返し方にもつながり、そのままの形で左右に伸ばせば、脇を指先で切ってから相手の顔を左右に攻撃する形になり、上下に伸ばせば頭部を攻撃から守る形になるのである。そして前方に突き出せば、指先で相手を攻撃することができるのである。まさに受けと攻撃が一体となった動作なのである。
また、もう一つの動きは、「ビッボアバーン:蓮の花が咲くという意味」という名称の通り、指先を伸ばして左右の手首を合わせハスの蕾が花を開く形をとる。そこから右手は下に左手は上に回転させ手の甲と甲をつけるようにしてから右手を上に、左手を下から回転させもとに戻す動作で、左右の手が逆に回転する動作でできている。この動作は、手をつかまれた時、相手の手首を返して関節技をかけることに応用ができ、また動作を大きくすれば受けながら手を使って相手を攻撃をする形にもなるのである。
この二つの基本動作をマスターすれば、後は自由にいかようにでも変化できる美しさを兼ね備えた動きなのである。色々な動きをこの二つの動作に集約させたことに、先人たちの素晴らしさと努力と智慧を感じるし、複雑な動きも突き詰めて行けば単純な動作になるのだということが理解できる。私にフォンジューンを教えてくれた先生の内の一人サーンカム先生は、踊りの名手でもある。その動きを見ていると、先生の心の動きがそのまま体を通しての表現となっているのがよくわかる。その特異性のためフォンジューンを教える先生には、芸術家が多いと伺った。サーンカム先生もタイヤイ族に伝わるダンスの衣装を作られていて、その衣装も色の鮮やかさと形の美しさから芸術性が要求されるのがよくわかる。
また、サーンカム先生が演武をされる時の、表情もフォンジューンの大切な要素の一つだと感じている。私はいままで色々な武術を経験してきたが、微笑みを浮かべながら行う武術を見るのは始めてであった。先生が演武をされる時の表情は、本当に楽しそうに踊られるのである。フォンジューンは、村のお祭や正月の式典でもよく行われる。お祭りは、人間が神様に捧げる大事な催し物である。そのためフォンジューンは神様に奉納する意味も私には感じられるのである。
一度私たちが十数名でサーンカム先生に教わった後、先生と一緒にラーンナー文化を紹介するレストランで食事をしたことがあった。そしてそこは、先生が以前働いていたレストランでもあった。タイ族やタイヤイ族の伝統の踊りが一通り紹介されて、しばらくするとなんとサーンカム先生がご自分で作られた衣装を身につけて、出てこられたのである。私たちは驚きと喜びの気持ちで拍手をもって先生をお迎えをした。そして、サーンカム先生の人を喜ばせたいサービス精神の大きさにも驚いてしまった。サーンカム先生の踊りを見ていると、一瞬神様が乗り移ったかと思う時がある。しかもどんなに激しい動作でも先生の表情は変わらず、笑顔を忘れない。その笑顔の原点、つまり神様と精神的に繋がることがフォンジューンの本質なのかもしれないと感じている。